デイジーコネクト

疾患・障がい・心に悩みのある方や、その家族への情報交換や交流を

イベントを立ち上げるキッカケとなる「私」

そもそも始まりはとても幼い時。

私の母子手帳の5歳の欄に書いてあった

「コミュニケーション不全」

まぁ確かに内気でした。

友達の作り方なんて分かりません。

「遊ぼう」なんて言うには不安と恐怖しかない。

 

当時は精神科なんて、とても敷居が高いもので

母としても「必要」なのか「不必要」なのか判断がつくだけの情報も知識もなかった。

 

実際は私の中にあった考えや記憶が問題で

今になって周りに言うと「賢い子どもだったんだね」「そんなこと、小さい時に考えたことないよ」といったものだった。

 

小学生の時は頭痛に苦しみ、頭痛薬を飲みまくり

中学生になれば自傷行為にまで陥る。

不安と恐怖、それによる反動での怒り。

精密検査で原因不明で何度もカウンセリングをすすめられるが、私自身も「カウンセリングの必要性」が分からず、放置。

 

そして高校生になると、悪化し、動けなくなるほどになって、やっと精神科に行ったが、悪化。

一言で言えば「合わなかった」

不安と恐怖

身体の震え

集中力も出ないし、嘔吐を繰り返し

眠れない

 

悔しくて悔しくて泣いて、気力を振り絞るも、どうにもできず、また泣いて。

 

そこから出会う色んな「情報」

医者に相性があるということでのセカンドオピニオン

今は自立支援と名前を変えている、当時の32条

障がい者手帳は、周囲の話を聞いて、当時高校生だって事で持たなかった。

 

社会人になり、声が出なくなったこともある

表情がなくなったこともある

 

世間一般の当たり前が、私にはとても高い壁だった。

だけど周りに、アドバイスくれる人もたくさん居て、実行して結果を伝えて、また色んなアドバイスもらって。

 

正直、当時言われても理解しきれない事もたくさんあったけど、実際その通りにして、数年たってから涙ながらに感謝したこともある。

 

たくさん試行錯誤を繰り返せたのも、アドバイスくれて、情報くれて、支えてくれて。そして時に厳しい言葉もくれる周囲の人達のおかげだった。

 

話し合える、顔の見える知り合いの必要性。

 

 

そして私は、相方が「てんかん」という病気になり、更に奔走したとき

てんかんだから」と全く仕事が見つからなかった。

「同じてんかんの人は、どういった仕事をしてますか?」「どういう事を日常生活で気をつけていますか?」

それこそ講演会みたいなものにも行ったりしたけど、得られたものは少なく、なかなか同じようなケースに出会えなかった。

当時『そういう人たちが集まる交流会的なのはないのか』と思ったのが何よりのキッカケ。

 

私はたくさんの情報を貰った。

そして今は、その情報を提示し「そうなのか!ありがとう!」と言われることもある。

自分にとっては当たり前の知識でも、そうじゃない人もいる。

 

 

気楽に遊びに来る感覚でやっていきたいと思う。

そして選んだ場所は「心の森」という場所。

人と人の縁を繋ぐような、支え合えるような、そんな場所

 

奇数月、第二金曜10:00〜12:00に開催していきます。

もちろん出入り自由で、フラっと来て、フラっと帰る。

飲み物飲んだら帰るねーでもOK。

 

将来的にはオンラインとか、もう匿名チャットで遊ぼうよ!みたいなノリも楽しいかなと思います。

 

 

コロナ対策としてはソーシャルディスタンスを保てるように。

予約制なのも、コロナ対策として。

 

twinaz.event@gmail.com

詳しくは予約メールの返信で(。・ω・)ノ

 

 

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